釈迦堂に住む人間たち (冊子「大樹」より)

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●日月空水を光らす風塵(風塵)妨(さまた)ぐる所なし
●篤く三宝を敬え

 


 

●如来寿量品
質直意柔軟
(心が素直で優しい)
一心欲見佛
(その者達が一心に佛を見ようと)
不自惜身命
(身をいとわず努力をすると)
時我及衆僧
(そのとき私や私の教を広めている者は)
倶出霊鷲山
(それ等の人々の前に出て)
我時語衆生
(そして それ等の人々に語る)
常在此不滅
(我は此処に居る決して滅しないと)
以方便力故
(唯人々を救う手段として)
現有滅不滅
(亡くなったとか亡くならないとかと説くのである)
餘國有衆生
(どこに居ても人々が)
恭敬信楽者
(佛を敬い信じてくれれば)
我復於彼中
(私は それ等の者に)
為説無上法
(最上の説を説こう)

 (注)釈尊の説かれた最上の教典、法華経如来寿量品第十六の最も尊い部分です。

 

 

●忍耐はすべての扉を開く

 戒律を守り続け、苦行に励むことは、確かによいことではあるが、忍耐に徹することほど、すばらしいことはない。どんな災難、事件にも耐え抜ける者は”有力の大人”といわれる。
 悪罵の毒を喜んで受けとめて、ジュースのように飲み下せるならば、最高で完全な人格者であるといってよかろう。
(「釈迦の遺言」より)

 

 

●聞かれないのに自分を語るなかれ

 ”私は、こういうことだけは断じてしないぞ”と、自分で固く心に誓って、厳しく律する人がいる。なかなか立派なことだ。
 しかし、ほかの人から聞かれもしないのに、それを自分から口に出すようであれば、そんな人は、人間として一番肝心なことに欠けているのである。
(「釈迦の遺言」より)

 

 

●「自分の時計」は本当に正しいか

世の中の一般の人々は、自分が尊崇するものこそ最高だと思い込んで、それ以外のものをすべて”価値の低いもの”と断定してしまう。だから、いつもトラブルの渦中に身をおくことになるのである。
(「釈迦の遺言」より)

 

 

●世に処して自ら嫌疑なし

 人生のすべてをありのままに見ることができる人は、すばらしい力をもっている。
 みんな、自分にとって損か得かという色めがねで、世の中のすべてを見る。自分にとって利益になるものばかりに近づいていく。不利益になるものは排斥する。自分勝手だ。

 人々の人生は、そのときそのときで、いろいろな風光を放つものだ。昨日は敵だと叫んで争っていたものが、今は味方となって親交を結ぶ。
 この人生で、敵も味方もないのに、その時々で、群れをつくり、派閥をつくる。
 それをそのまま見る。敵もなければ味方もない。好きもなければ嫌いもない。そういう感情を超えて、ありのままを見ることだ。

 人生はありのまま、裸のままで十分楽しめる。

慈雲飲光

 

 

●人の悪口を言うのは自分の悪口を言うに同じ

 人の欠点はよく見える。自分の欠点はいつも見えない。一日中、他人の欠点をあげて、悪口を並べたてて、暮らしている人が少なくない。
 他人の悪口を言うのは、自分の悪口を言っているのと同じなのだ。

 悪口を並べていると、自分の欠点をさらけ出して得意になっているのと変わらない。これほど卑しいことはない。

 他人のすぐれた点をしっかりとほめて、自分の手本にするように心がけると、自分もだんだんと、すぐれたものになってくる。
 人は口に出して言うものに近づいてくるものである。心を引きしめていきたいものだ。

明 恵

 

 

 

●本来無一物なり 修行というは、常に無一物になるをいうなり

いったい、人間は何をもっているというのだろうか。
自分の生命さえも、自分の自由にならないのである。まして、それ以外のもので、わがものと主張しても冢中(ちょうちゅう)の塵となるとき、何をもって墓の穴へ入るというのだろうか。

人は、生まれるときは、何ももって生まれてこない。
まして死ぬときは、どんな財産をもっていても、どうすることもできない。

本来無一物なのである

人生を生きるうえで、本来無一物だと悟れば、これほど安らかな人生はない。こだわる
ものが一つもない人生は、自由で安らかだ。

本来無一物の人生を、しっかり肚に据えて生きていきたいものだ。

− 至道無難 −

 

  

 

●日月空水を光らす風塵妨ぐる所なし

 朝、水平線上に太陽が昇りはじめる。
 光が一直線にあらゆるものの上にそそがれてくる。風塵も、その光をうけて、躍動している。万物は生きかえるのである。

 この仏光明の中で、何を一体、ぶつぶつ言って、尊い生命を無駄に使っているのだろうか。

 生きている。そのことだけでも、ありがたいことなのだ。生命ほど尊いものはないのに、物慾にふりまわされ、貪慾にひたって人生をだいなしにしてしまっている。惜しい事だ。

− 空 海 −

 

 

●篤く三宝を敬え

  出家をすることは、この世の一切の栄達や富貴の可能性を捨ててかかることだから、凡夫の私たちにはとても考えられない決断力がいる。妻もめとらず、財宝も貯(たくわ)えず、衣鉢のほかは何も持とうとしないのだから、いくら供養してもしすぎることはない。

 仏を敬うのは、もとよりのこと、経典に書きしるされた法の心を敬うことも、大事なことだ。
 凡夫は、この仏・法・僧を篤く敬って、そこから、俗世で汚れきった心を清らかにしてもらうのである。

 篤く仏・法・僧を敬っていけば、人生、道に迷うことはない。

− 聖徳太子 −